歪み真珠

美的感覚とは嫌悪の集積である。

6/16 肌の調子が良い

月曜日、大きな入道雲を見た。坂を登っていると深い緑の山と大きな入道雲があった。1枚の絵みたいな構図だった。今日の朝ごはんは夕張メロンだった。ジュクジュクしていて、わたしの大好きな熟れ具合だった。

このところ肌の調子がすこぶる良い。頬の赤みが引いたのと、白いプツプツしたものがほとんど無くなった。ここ1ヶ月はじめたことは以下の4つ。
①ObagiC10美容液
②病院でもらったアクアチムローション
洗顔後すぐのハトムギ化粧水
④こまめ(3日に1回程度)な酵素洗顔

①ObagiC10美容液
紫外線対策として日焼け止めしか手を打っていないことに危機感を感じ、導入した。美容には色々な宗派があるが、どの宗派にも共通していることが紫外線対策。老化のいちばんの原因は光老化だそうですよ。試供品としてC25というドーピング剤ももらったので、これはデート前日につけることにする。

②アクアチムローション
今までもらっていたGAローションから変えた。GAローションより赤みや吹き出物に効果がある。きついお薬なので、粘膜の周りには使用していない。

ハトムギ化粧水
お手頃で大きなボトルに入ったアレ。ローションが、顔全体には塗れないものなので、バシャバシャ使えるものがほしくて購入した。手入れの基本のキだが、肌に水を入れるのは大事だなと思いながら使用している。

酵素洗顔
以前から使っていたが、Obagiでカウンセリングを受けたときに酵素洗顔は毛穴が気になるときは2,3日に一度使ってくださいと言われ、週に1回から頻度をあげて使うようにしている。

このなかのどれがいちばん効果があったのかはわからないが、今までと違って手応えを感じている。というのも、肌がとても柔らかい。再燃と寛解を繰り返してきたが、これは今後、完治に向かう良い兆候と期待してもいいのではないか。以前のブログに肌の進捗を「2歩進んで1.5歩下がる」と書いたが、「3歩進んで1歩下がる」の状態になってきた。調子に乗っておかきやチョコレートを食べすぎないように気を引き締めていきたい。


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「悲しみよこんにちは」を読むのにいい季節

梅雨とは思えない陽射しの強い日が続く。サガンウォン・カーウァイは夏の季語だ。一口に夏といっても、南仏の地中海性気候と香港の亜熱帯気候とは全く様相が異なるだろうけど。そういうわけで、(どういうわけで?)まだそれほど蒸し暑くない過ごしやすい気候なので、サガンの「悲しみよこんにちは」を読んだ。たまたまセント・ジェームスのボーダーTを着ていたので、わたしのお目出度い脳みそは「格好だけはジーン・セバーグだな」と思ったりしていた。月のもののせいで、身体の深部が重たい。適度な生理痛は仄暗い甘さがある。そのせいか、「悲しみよこんにちは」もいつもよりも甘美な物語にうつった。青あざを痛いとわかりつつ、押してしまうような自虐的な痛み。

一週間遅れて月のものがやってきた。来週は旅行だったので、ギリギリセーフというところだろう。まったくヒヤヒヤさせられる。お風呂場で、自分で染めた真っ赤な爪を大きな血の塊と見間違えて驚いた。これが青だったり、グリーンだったりするとそういう見間違いも起こらないのだろうか。青とかグリーンのような、足の爪じゃなきゃ塗れないようなカラーを一度試してみたい気持ちもあるが、ペディキュアは赤じゃなきゃイヤよと、心のフランス女がなかなか許してくれない。

 

アルコールが飲めないのならパフェを食べればいいじゃない

6月は祝日がない。なので(?この順接は正しいかしら?)有給をとって三連休にした。ふふ、明日もお休みです。母と久しぶりに百貨店へ行く。お気に入りのバルバのブラウス着ちゃお〜パンツはセオリーにしよ〜ゲランの香水もつけちゃお〜お母さんは何着るの?FENDIのチェーンバッグいいじゃ〜ん、指輪何つける〜?IOSSELLIANIもいいけど、新緑に合わせてエメラルドもいいんじゃない?とキャイキャイウキウキしている。お出かけできない鬱憤が思っていた以上に溜まっている。

買いたいものがたくさんある。夏用のレターセット、ストラップレスの下着、プチバドーのTシャツ、Obagiの美容液、友人の誕生日プレゼントなどなど。チークも買いたい。基礎化粧品以外のコスメを買うのは久しぶりで、色物を買い足すのは心躍る。目元に使用するアイシャドウやマスカラは買っていても、塗る回数がめっきり減ったチークを以前に買ったのは一年以上前だ。購入する予定のものは、清純な乙女のほっぺのような桃色、NARSの4033「SEX APPEAL」さすがフランソワでございます、なカラーとネーミング。以前購入したときにタッチアップしてもらっているので、店頭で迷うことなく買える。当時もうひとつ候補にしていたORGASMもつけてもらったけれど、大人っぽくていまいち似合わなかった。

緊急事態宣言前に取り寄せしていた母のロングパール用のショートナーもやっと受けとれる。3月ごろに取り寄せをお願いしていたが、気づけばパールをつけられる季節もあと少しだ。母のてりてりの100センチのパールネックレスは眺めているだけで気分が良い。そのネックレスをショートナーで二重にして、麻の白シャツと合わせた母がみたい。似合うだろうねぇ。

そして何より明日のいちばんのお楽しみはパフェを食べに行くこと!フレンチのお店から独立したカフェで、創作パフェとでも言うような凝ったスイーツが楽しみだ。関西のアサコイワヤナギみたいなものだと勝手に思っている。一度訪問したことのある母によると、店内はグリーンが多く、インテリアも素敵らしい。懸念事項がひとつだけ。滅多にできない口内炎ができた。美味しくパフェが食べれるだろうか。多少の痛みは我慢できるが、これ以上悪化されるとパフェが危ぶまれる。夜は自宅で泡を飲む予定にしている。ガーリックシュリンプと青カビと豆腐の冷奴、砂肝とらっきょうの炒めものと心躍る献立なのだ。日にち薬とわかっていても、少しでも早く治したくてビタミン剤を飲んでいる。土曜日曜ともアルコールを我慢したのだ。どうぞ、その努力に報いてください。今の痛みが明日には少しマシになっていますように。

1Q84 「手を握る」の発想の契機について

1Q84を読んで思ったことを書きたい。感想なんていう立派なものじゃなくて、私の脳の中で過去の記憶と繋がった些細なこと。「手を握る」発想の契機について。脳の中にある色んなものを繋げたり重ねたりすることが個人的に好きなので書き残しておきたい。


青豆さんと天吾の触れ合いはたったの一度、小学5年生のとき。教室で青豆さんが天吾の手を握ったことだけ。たったそれだけを頼りに生きてきた、特に青豆さんは。この『たった一度「手を握った/握られた」という思い出と行為がその人の生きる頼りとなる』という発想の契機は、村上春樹が取材したオウムサリン事件の被害者へのインタビューじゃないかと思う。彼は取材の中で重い後遺症を負った女性と出会う。一通り彼女のインタビューを終え、お別れするとき彼は彼女と握手をした。その時に感じた彼女の“力強さ”についてあとがきで詳しく書いていた。
身体は心の容れ物じゃない。身体は意志と記憶を持つ。青豆さんに手を握られた感触を天吾が思い出すとき、村上春樹は執筆しながら、記憶にある被害者の女性と握手を交わした感触をしっかりと思い出していたのだと思う。村上春樹が感じたその握手の優しさと強さを身体と心で咀嚼して、血肉とするためにこの設定が用意されたのだと思う。
この考察はあながち間違っていないような気がしているのです。

私はこういう『世界の秘密を誰かと共有すること。そしてその記憶が結晶となり、ずっと心のなかで輝きつづける』が大好きなんです。たったひとつの言葉やたった一度の行為がその人を支え、生きる理由、あるいは生きる気力の源になるっていうやつ。
1Q84を読み終えて、すぐに全冊ほしくなった理由は、この物語が二重の意味でその“好きなこと”をやってくれたからだろう。

毎朝芍薬を揉みほぐしている

雨の日の朝はコーヒーが飲みたくなる。雨の日であっても、休日はコーヒー欲が高くはないが、仕事のある雨の日は必ず飲みたくなる。薄くてマイルドなものではなくて、村上春樹が言うところの『真夜中の悪魔のような珈琲』が飲みたくなるのだ。いつもなら午後に眠気覚ましもかねて飲むところを雨の日は午前中からコーヒーを淹れる。昨日はバナナ味のアルフォートをお茶請けにした。通勤中、常備しているドリップバッグを切らしていることに気づき、職場の最寄りのコンビニで買っていった。いつも飲んでいるものよりお高いそのドリップバッグはお値段のことはあり、いつもより美味しかった。

5月らしい気持ちの良い天気が2日ほど続いた。そんなお天気のいい朝、職場の人に「今朝は気持ちがいいですね」と話しかけられた。ええ、ほんとうに。ずっとああいう涼やかな気候が続けばいいのに。


1Q84を読み終えた。私がこの物語をbook2でおしまいだと思ったのはあながち的外れなことではなかったようですよ。book2で終わりだと思っていたけど、book3も書いてみたくなった、と作者本人が語っていたので。よかった。今はかの物語の余韻にひたって生活している。ちょうどソムリエが舌でワインをころがして味わうように。
物語のはじまりはトヨタのクラウンだったか。車に明るくないのでよく覚えていないが、トヨタの中ではハイクラスで静かな車らしい。今でいうレクサスのようなものかしら。車内で流れるヤナーチェクシンフォニエッタ。運転手の言外に含みを持たせた話し方。物語のはじまりの舞台として完璧だったなぁと思う。
物語の中で起きた出来事ひとつひとつをふりかえって見てみると、遠くて長い旅を終えたような気分になる。椎名林檎の長く短い祭の歌詞にあるような「思えば遠くへ来たものだ」という甘いため息のまじったセリフが頭に浮かぶ。
図書館で借りた本だったが、手元に残しておきたくなった。楽天のお買い物マラソンが始まったら購入しようと思う。いつでも手に取れるようにしておきたい。


先週末に買った4本の芍薬がそろそろと開きだしている。芍薬は休日も一部営業再開した阪急百貨店の日比谷花壇で購入した。ここのお花は丈夫で綺麗だ。店員さんのアドバイス通り、毎朝蕾をもみほぐし、蜜をぬぐっている。

5月の大島渚

香を焚く、珈琲を淹れる、ダイヤを眺める、本を読む。それが雨の日の休日。

今週のお題、雨の日の過ごし方。

晴れの日も似たようなものだ。何分友人が少ないので、晴れであろうと雨であろうとやることは大きく変わらない。雨だと自転車に乗れないので、少し遠い喫茶店に行けない、タクシーに乗る回数が増える。これぐらいの違い。

やることは変わらなくとも、空が青いのは良いものです。お洗濯物もよく乾くし、底が革張りの靴も履ける。早くも梅雨入りしたこの頃、晴れた休日は気分がよかった。

図書館が再開されたので、1Q84の最終巻を借りに行った。恥を忍んで言いますが、実は1Q84は第2巻でおしまいだと思っていたんです……あぁ!言ってしまった、なんと恥ずかしい!!村上春樹が好きだなんてよく言えたな、何巻で終わりかも知らなかったのかよともうひとりの自分から罵声が聞こえる。はい、ごめんなさい。なんかおかしいなとは思ったのよ。BOOK1が4月ー6月、BOOK2が7月ー9月。残りの10月以降は……?と思っていはいたんですよ。でもさぁ、ああいう終わり方するじゃない…村上春樹さんって。兎にも角にも、青豆さんと天吾の物語はもう少し続くようです。読み始める止まらなくなるので、ちょっとだけ、ちょっとだけねと、目次だけ眺める。二人が重なり合うところがあって、とても嬉しくなる。しばらく寝不足が続くだろう。職場の人にしんどそうだけど大丈夫?と聞かれたら、梅雨のせいにすればいい。私の職場は優しい。

 

美容院で久しぶりに縮毛矯正をあてた。恋人が縮毛をあてて、前髪をかきあげていた時代の懐かしい写真を引っ張り出してきた。そして久しぶりにこの髪型やってとねだられたから。以前、伸ばしていた髪をばっさり切ったのも恋人がショートがいいと言ったからだし、なんだか彼の言いなりになっている。こんなはずじゃなかったんだけど…と思いながらもお願い事を聞いてしまう。

 

この休日はずっと前から楽しみにしていた映画を観に行く。ナギサオーシマの「愛のコリーダ」特定の男への情欲の果に““チョッキン””する物語としかあらすじを知らない。

一刻も早く1Q84を読みたいので、1Q84を携え、映画館へ向かい、愛のコリーダを観て、また1Q84を読みながら帰宅……をやりたい。しかしだ、想像しただけで情緒が破綻しそうだ。愛のコリーダ1Q84。そんなわかりきった混ぜるな危険をやるほどマヌケじゃない。代わりに同じく図書館で借りてきたモームの短編集「ジゴロとジゴレット」を持っていくことにする。1Q84はおあずけ。

モームの短編は軽妙ながら、独特の味わいがある。短編の中に『頬紅の下がすっと青ざめた』という描写があった。思わず唸る、うまい。「すっと青ざめる」じゃなくて、「頬紅の下」で青ざめるのだ。この世界の解像度の高さよ。化粧を落としていなければ、女の頬は余程のことがない限り青ざめない。取り繕わなければいけない場面(社交の場ではほとんどの場合、取り繕う必要がある)で簡単に青ざめたりしない。頬紅の下で表情をなくすのだ。それと、この人は女性特有のふてぶてしさを描写するのが抜群にうまい。ここまで書けるなんて、モームは女嫌いなんだろうかと思ったが、同性愛者と知り、腑に落ちる。なるほど。

 

 

帰宅。愛のコリーダは想像と違って、さっぱりとした映画だった。情緒はめちゃくちゃにならなかった。おそらく1Q84と混ぜても大変なことにならなかっただろう。次は6/4から公開される戦場のメリークリスマスを観に行きたい。こちらはDVDで一度見たけれど、それこそ情緒がめちゃくちゃになってしまったので、映画館に行くときは細心の注意を払って行く。デヴィッド・ボウイのオムファタールっぷりといったら…

久しぶりに映画館で作品を見たせいかとても眠たい。よく眠れそうだ。

 

nendoとコラボしたグミを見つけた

水曜日
恋人が東京に行ってしまった。見送った途端、街なかにいる男女の番が目につくようになる。ルクアの地下に空いているラーメン店があったのでそこに入る。久しぶりのラーメン、美味しかった。ビールを飲みたかったが、当然なかった。帰り道にTULLY'Sで珈琲を飲む。脂っこいものを食べたあとに飲むコーヒーは美味しい。深い茶色とあの苦味が脂をぜんぶ分解してくれるような気がする。TULLY'Sで1Q84を読みおえた。ああいう物語の中にいると、恋人が近くにいない寂しさが紛れる。読み終えてしまった。まだ図書館は開きそうにない。帰宅してもとにかく無気力で、部屋のベッドで横になっていた。


木曜日
久しぶりの出勤。GW中一度もやらなかった筋トレをする。いつの間にかキャミソール一枚で運動できる気温になった。


金曜日
宇都宮けんじさんの東京オリンピック中止の運動に署名する。応援しています。こんなことをしても何か変わるのかとも思ってしまう。でも、今までそう思ってやってこなかったたくさんの結果が「コレ」なんだから、微力ながらやれることはやりたい。もしも興味があれば、下記のURLからとんでみてください。
http://chng.it/tRtQbHfVjs

GW中に手続きしたSBI証券から連絡が来る。提出書類に不備があったらしい。明日にでも再提出する。SBIといえば、25歳以下は手数料無料と打ち出し、話題になったところだ。楽天証券の口座は持っているが、SBIは米国株を定期買い付けできるシステムが魅力的だ。

遅らせていた生理が来た。お腹も痛いし、精神もふにゃふにゃになり、恋人と電話しながらめそめそする。


土曜日
顔も洗わず、とにかくだらだらしていた。顔は洗わなかったが着替えはした。ワイヤー入りのブラもつけた。お肌に悪いと思われることを全部した。ピーナッツを食べた、チョコレートも食べた、おかきも食べた。良かろう。すべての悪事や不必要にメソメソするのもぜんぶ「PMSのせい」と乱雑に書かれたゴミ袋に突っ込んでおく。月曜日はちょうどごみの日だ。


日曜日
だいぶん持ち直す。洗顔し、日焼け止めを塗る。もちろん着替えも。部屋の掃除をする。トレーニングはしないが、暴食予防のため、プロテインを飲む。トマトを食べる。

世の中の流れが確かに変わりつつあるように思う。バイデン大統領は「Trickle down economics has never worked」と演説した。私は投資初心者も初心者であるが、「今の世界のシステム、資本主義にかけるのであれば、VTへの投資を、過去の成績から資本主義の中でもより大きな成長が見込めるのは米国であると予想するのであれば、VTIへの投資を」はまずはじめに知ったことだ。けれど、そもそもこの資本主義からして変わるのだろうか。
SDGsは大衆の阿片である!の煽りでお馴染みの「人新世の資本論」を購入した。図書館の予約サイトを見ると、なんと最短でも7ヶ月待ち。そんなに待っていられなくて購入した。まだ読んでいる途中であるが、この本がそこそこ売れているのはいいことなんじゃないかと思う。
大洪水よ、我が亡き後に来たれ!のツケが今のコレだ。

こういうことを書ける精神の余裕が出てきた。