歪み真珠

美的感覚とは嫌悪の集積である。

勝利宣言

お肌の勝利宣言であればいいのだが、そううまく事は運ばない。お肌ではなく、香水使用における勝利宣言です。

自慢であるが、私の香水はすべてゲランだ。恋人に選んでもらった夏用の少しスパイシーなものと、自分で買った甘い冬のもの。彼は昨年の夏、香水をプレゼントしながらも遠慮がちに「デートの度に香水をつけなくてもいいよ。あなたの(素の)匂いが嗅げなくなっちゃう」と伝えられた。それがどうだ、この冬の旅行中「香水変えた?」と聞かれた。「なんか好きな匂いになってる」と。もちろん香水を変えてなんかいません。彼の嗅覚が私の香水を“よいもの”と認識するようになったのだろうか。そうよ、そうに違いないわと嬉しい気持ちになっていた。そして、極めつけは、新年はじめてのデート。うっかり香水をつけ忘れてしまったら、私を抱きしめながら「あれなんで香水つけてないの?」と咎められてしまった。
ねぇ、こんな愉しみが香水にあったなんて知っていましたか?私の素の匂いを嗅ぎたいから、香水をつけて来なくていいよと言っていた彼が、香水をつけていないと残念がるまでになったのだ。私とゲランの調香師ティエリー・ワッサーの勝利ですわ。おほほ。


ここで終わってしまうのは何だか味気ないので、もうひとつ私と彼との間にあった香水の話を書いて終わりにしたい。
カジュアルなデートだった。セックスして、彼の靴を探しに行き、気の向いたお店でお食事するというプラン。11月の頭、今年は寒くなるというわりには暖かい日だった。コットンニット一枚とジーンズを履き、カシミヤのストールを羽織った。秋だからと、うきうきパールをつけた。(ジーンズにパールってなんて可愛いんでしょう)さて、困ったのは香水。首や腕につけるほど香らせたくない。如何せんジーンズにフラットシューズという出で立ちだ。お腹につけるとシャワーを浴びたらすぐに落ちてしまいそう…と思い悩んだ。そうして、水で流れてしまいませんようにと少し祈るような気持ちで足首につけたのだった。
彼との行為のさなか、私の片脚を持ち上げたときにちゃんと香ったのであろう。「あ、今日香水つけてるね、いい匂い」と彼がその日はじめて香水について言及した。あの瞬間が堪らなく色っぽく、何度も反芻している。香水はこの瞬間のためにあるのだとすら思った。然るべきときに香ってくれたらしい。