歪み真珠

美的感覚とは嫌悪の集積である。

かぐや姫

 

書きたいことはたくさんあるのになかなかまとまらない。増えゆく下書きたち。思いの断片をスクロールする。

久しぶりにキリキリした寒さだ。寒の戻りはこたえる。グローブをしていても手がかじかむ。寒い日の夜空はやはり格別だ。職場から出てしばらく歩く方角は東。今日のお月さまご覧になって?かぐや姫の住まう都が本当にあるかのように大きく明るい。古人が満月を見て、あそこには都があり、それはそれは美しいお姫さまが住んでいたと物語を編む気持ちが少しだけわかる。電気のない蝋燭だけの夜、満月は格別だっただろう。
かぐや姫、で思い出すのは私のパートナーのこと。彼は私の人生最大にして唯一のモテ期の様子を知っている人だ。後に「あのときのあなたはかぐや姫みたいだった」と言っていた。ねぇ、不意打ちにこんなこと言う彼って素敵でしょう。かぐや姫よ、ほほ。私がかぐや姫なら、仏の御石の鉢や火鼠の皮衣なんて地味なものはいらない。マリー・アントワネットの首飾りとか、ジョゼフィーヌのティアラだとか、シンプソン夫人のパンテールブレスレットなんかがいいわね。かぐや姫より現実的だし、易しいものだと思う。もしもそんな機会があったらば、男たちに平然と告げ、翻弄させてみたい。とここまで一人妄想を書き連ねる。ああ愉しい!

書きたいことのひとつは上記のお惚気。他には最近読んだ本のことや『わかりやすさ』について書きたいがまとまってない。最近買った本は、前回のブログにも書いた広瀬巌さんの「パンデミック倫理学」お高めだったけど、これが本棚にあると、あのコロナ禍、ヒントが欲しくて買ったのだなと振り返ることができるでしょう。こういうお金はケチりたくない。今は久しぶりに村上春樹の「約束された場所で(アンダーグラウンド2)」を読み返している。ネットでキンコンwest野さんの映画チケットについて書かれたnoteを読んだ。ねずみ講的な、ネットワークビジネス的なやり方で、いやいやこれほぼ犯罪では?と思った。が、noteを書かれている方々は実に前向きでやる気があって、ネギしょったカモであった。正直アホやんと思った。けどそれで終わらせられなかった。正義感とかじゃなくて純粋な疑問として。彼らの無邪気さにオウム真理教のことをふと思い出して、約束された場所でを読み返すことにしたのだ。なぜこんな胡散臭いものにドボンしてしまうのか、何かヒントがあるんじゃないかと。アンダーグラウンド1は地下鉄サリン事件の被害者と遺族の方へのインタビュー。そして約束された場所で(アンダーグラウンド2)はあの時オウム真理教の信者だった人へのインタビュー。最後、村上春樹が対談するのだが、相手は「子どもと悪」や「こころの処方箋」の著者河合隼雄さん。河合隼雄さんの柔らかい視線が好きだ。読み終えたら、パンデミック倫理学とあわせて感想を書きたい。