歪み真珠

美的感覚とは嫌悪の集積である。

歩く女の子たちとお雛さん

今日は高校の卒業式だったらしい。通りで。花束を持った高校生を見るなと思っていた。高校の卒業式かぁ。公立は統一なのだろうか。それともまちまちだったか。もう覚えていない。あいにくの寒い雨だ。
ずっと後回しにしていた資格の登録をしようと重い腰をあげた。登録のため、ホームページを見てみると、なんとコロナのおかげで郵送でも対応できるようになったらしい。やればできるじゃん、お役所さん。角型1 号の封筒を地元で探すも、見つからない。梅田のロフトにもなかった。やっと大丸の東急ハンズで見つける。うーーん、さっさと窓口に行ったほうが早かったかもしれない。

はてなブログ今週のお題に参加してみる。お雛さん。卒業式を終え、寒い雨の日に脚を出して、花を持った女の子たち。3人並んで梅田阪急のコンコースを闊歩していた。彼女たちのお家にもお雛さんがあるのだろう。
我が家にも立派な三段のお雛さんがいる。もう女の子と呼ぶには相応しくない年齢になった今でも、毎年生真面目に父が飾ってくれる。今年も赤い天鵞絨の上にお澄ましして座っている。

狭いリビングだけど、三段のお雛さんが登場しても不思議と圧迫感はない。その華やかさゆえだろうか。まだ私が小さくて、家によくお友達が来ていたころ、母の友人たちが私のお雛さんを見て、お上品なお顔ねぇと感心していた。今でもその「お上品な顔」というのがわからない。母にお人形の上品な顔ってどういうこと?と聞くと、色々見比べるとすぐにわかるわよと返ってきた。試しに百貨店でお雛さんのお顔を眺めてみる。残念、時期が遅かった。店頭に並んでいるのはお節句の方だった。来年の一月の下旬には『お雛さんお顔比べツアー』と称し、百貨店のありとあらゆる雛人形たちのお顔をじっとながめる遊びをしようと思う。
近頃お買い物の愉しみが増えてきた。以前は『買い物=お金を落とし、物を手に入れる』だった。歳を重ね、厚かましくなったのか、金額が予算外であったり、予定にないものでも、堂々と試着させてもらったり、色々な品物を躊躇せず見比べられるようになった。それだけでも面白い。そして物の値段の平均が少しずつ見えるようになってくる。各ブランドのマネキンのコーディネートを見ながら、手持ちのお洋服に買い足すアイテムの最適解を考えたりもする。道行く人の服装を勝手にあれは微妙、これはいい、あの人のバッグはどこそこのだな、あのブランドはデザイナーが変わってから微妙、あそこは人気があるな。などと何食わぬ顔して、マスクの下で一人でお喋りするのは気持ちがいい。平日の特に午前中だと、外商さんと歩くお着物を着た女性とすれ違ったりもする。これまた面白い。

お題のわりにマテリアルな文章になってしまった。
四半世紀程度しか生きていないわりに自分より若い女の子を見ると、彼女たちが“女だからというたった一点の理由だけで”酷い目にあったり、辛い目にあいませんように、と願ってしまう。

今日は久しぶりに高校時代の友人と会い、お酒を飲んだ。雨が降った寒い夜は星がきれいに見える。幾度となく見上げてきた空だが、飽きもせず今日も綺麗だ。f:id:lecollierdeperles:20210302222451j:image

 

#今週のお題 #雛祭り#燃ゆる女の肖像