歪み真珠

美的感覚とは嫌悪の集積である。

新緑まで

五月は私の好きな季節のひとつです。新緑の綺麗なころあなたに会えるのを楽しみにしています。

そう締めくくって東京に住む恋人にお手紙を書いた。彼に手紙を書くことは何度かあっても住所を書き、切手を貼り投函するのは背筋が伸びるような緊張感がある。とっておきのミッフィーちゃんの切手を貼った。

 

気づけばすっかり春だ。通りを歩くとソメイヨシノは半分ほど葉桜に変わり、八重桜やしだれ桜が見頃を迎えていた。喫茶店やパン屋さんのテラス席はほとんど埋まっていて、人も花も春めいている。

もみじは赤もいいが、緑が好きだ。紅葉より新緑の季節が好きだ。萩原朔太郎は「五月の朝の新緑と薫風は私の生活を貴族にする」と言った。

概念としての冬が好きと以前のブログで書いたが、目が心地よく過ごしやすい五月も好きだ。よく晴れた日に青々とした緑を見るだけで貴族的な気持ちになれることをいつ知ったのかしら。天気がいい、緑が綺麗、凍えるような夜に星が綺麗。たったそれだけで心がふわっと嬉しくなる。これが年を重ねるということなのだろうか。そういえばこの冬はやはり寒かったのだ。数年ぶりにしもやけができていた。ペディキュアを塗りなおすときに気がついた。どおりで足先がかゆいと思っていたのだ。しもやけはなんとなくカサカサとした跡になり、元に戻るのに少し時間がかかる。いやなものだなぁ。

 

図書館のテラス席でブログを書いている。風が気持ちいいが、長くいると少し冷える。小さな水筒に白湯をいれて持ってきた。白湯が好きになったのもここ数年のこと。美容にいいのは知っているが、それ以上にあたたかいお湯は美味しい。暑い夏であっても白湯を飲んでいる。冷たい水はいくら飲んでもなかなか喉の渇きは癒えないが白湯はきちんと喉が潤う。なんとなく“おばあちゃんの知恵”っぽい。

 

どこかで合唱の練習をしているらしい。姿は見えないが、歌声だけ聞こえてくる。早く手紙が届くといいな。彼からもらった香水を振っておいたのだ。