歪み真珠

美的感覚とは嫌悪の集積である。

春はあけぼの、四月は師走

4月は忙しい。ほとんど毎日残業している。一昨日はイヤになって仕事を終わらせてもいないのにぜんぶ放って定時に帰った。昨日も。定時の5分ほど前からパソコンを片付け、コップを洗い出す。定時ぴったりにお先に失礼しますをする。できれば今日もそうしたい。
残業は嫌いだ。私の職場では残業する人の方が多いから、ちょっと残業が続くだけで嫌気がさすような私はたぶん例外だ。母には4月が忙しくなきゃあなたいつ忙しいのよ、ひと月ぐらい頑張りなさいと発破をかけられる。ごもっともな見解である。
どんな時も定時ぴったりに帰る人を「あの人ぜったい定時に帰るよね」と非難めいた口調で言っている人がいた。彼女ほど露骨じゃないが、私もたいてい定時に帰っているから多分、いや絶対に何か思われてるんだろう。どうせ帰るのなら一分でも早く帰りたい。終業の合図と共にさよならしたい。

つくづく図太くなったと思う。母にはあなたは元々図太いと指摘されるが。であれば、その図太さを隠すことがなくなったのだろう。残業した私の時間を誰も返してくれやしない。
他人になんと思われようと自分の快適さを追求した方がいいなと思うようになったのは、以前ブログにも書いた人生唯一のモテ期がきっかけだったと思う。私という人間はずっと変わらず地続きの人生を送っている。それなのにその時々の容姿やステータスによって人の評価は変化する。そんな曖昧なものを頼って生きるなんてアホらしい。評価するのは勝手にしたらいい。私も他者を見て勝手に色々と思ったりするのだから。けれど、評価される人間は私が選ぶ。


最寄り駅まで歩くとハナミズキ、チューリップ、藤の花、ツツジ、木香薔薇、たくさんの花を眺めることができる。川にはたんぽぽと菜の花が自生している。少し前の桜の季節には川に花びらが散って白い波紋ができていた。春はいいものだ。冬の緑の少ない街が花で色づく。夏になんかならず、ずっとこの季節が続いたらいいのに。そして穏やかに秋をむかえ、キンと冷えた冬。暑い夏はひと月ぐらいで十分だ。
綺麗な街である。ここに家を建てたいと思った両親の気持ちがよくわかる。私の生涯賃金なんて知れているが、稼げる人や資産家の方にはたくさん納税していただき、街の景観美化、緑化のため立派なお庭のあるお屋敷を建てていただきたい。
みんなで貧しくなったらいいじゃないと上野氏は言っていたけれど、みんなで豊かになる方向で考えませんか?やっぱり難しいのでしょうか。富める人が増えると、ただ街を歩くのだって楽しい。