歪み真珠

美的感覚とは嫌悪の集積である。

雨は蕭々と降っている

休日と休日の間の金曜日、電車に乗り職場に向かっている。恋人も父も仕事がお休みで、いいな〜行きたくない〜休みたい〜とうだうだしたおかげで朝ごはんを食べられらなかった。そもそも昨夜、恋人の家から帰宅したのも夜11時をまわっており、就寝したのは2時を過ぎてからだった。計画的寝坊といえる。

生理前ということもあり、昨夜のアルコールがまだ残っている。飲酒したあとにめんつゆを少し飲んでおくと翌日にお酒が残りにくいという話を聞いたことがある。真偽の程はさておき、昨夜も冷蔵庫からめんつゆを出し、スプーンに2杯ほど飲んだが、そんなものでは回復できなかった。……深夜お台所の明かりが煌々とついているので、不審に思い覗いてみたところ、そこにいたのは……そう、めんつゆをすする女の妖怪……と一人妄想しながらめんつゆを飲んだ。おいしかった。

 

28日の夜、恋人が大阪に帰ってきてくれた。わたしがJR線と御堂筋線を勘違いしていたせいで、なかなかうまく落ち合うことができなかった。どこにいるの?と恋人からかかってきた電話に「私ちゃんと言われたところにいるもん」とかなりぶうたれながら答えていたが、私の間違いであった。だってねぇ、新大阪駅ややこしいもの。失敬失敬。

昨日はワインとおつまみを見繕って彼の家でゆっくりしていた。彼のお母さんが作ってくれたバナナシフォンが美味しかった。雨音を聞きながら、彼の腕を枕にとりとめもないことを話しているとふと、大阿蘇の詩が思い出された。

もしも百年が この一瞬の間にたったとしても何の不思議もないだろう

中学生だったか、国語の教科書に載っていた。いい詩だと思う。「雨」と「馬」と地球の長い営みの中でできた「カルデラの土地」とが誰でもない何かによって語られる。それぞれのイメージが美しく重なってできた詩。

酔っぱらい、恋人の腕の中でよだれを垂らしてスピスピ眠った。

 

 

今は時間休をとり、帰りの電車に揺られている。アルコールは抜けたような気がするが、睡眠不足のせいか眠たく無気力だ。休日の間の労働がとにかくイヤなのも無気力の原因のひとつだとは思うが。帰りにラーメンを食べて帰ろうかな。明日も雨らしい。