歪み真珠

美的感覚とは嫌悪の集積である。

「悲しみよこんにちは」を読むのにいい季節

梅雨とは思えない陽射しの強い日が続く。サガンウォン・カーウァイは夏の季語だ。一口に夏といっても、南仏の地中海性気候と香港の亜熱帯気候とは全く様相が異なるだろうけど。そういうわけで、(どういうわけで?)まだそれほど蒸し暑くない過ごしやすい気候なので、サガンの「悲しみよこんにちは」を読んだ。たまたまセント・ジェームスのボーダーTを着ていたので、わたしのお目出度い脳みそは「格好だけはジーン・セバーグだな」と思ったりしていた。月のもののせいで、身体の深部が重たい。適度な生理痛は仄暗い甘さがある。そのせいか、「悲しみよこんにちは」もいつもよりも甘美な物語にうつった。青あざを痛いとわかりつつ、押してしまうような自虐的な痛み。

一週間遅れて月のものがやってきた。来週は旅行だったので、ギリギリセーフというところだろう。まったくヒヤヒヤさせられる。お風呂場で、自分で染めた真っ赤な爪を大きな血の塊と見間違えて驚いた。これが青だったり、グリーンだったりするとそういう見間違いも起こらないのだろうか。青とかグリーンのような、足の爪じゃなきゃ塗れないようなカラーを一度試してみたい気持ちもあるが、ペディキュアは赤じゃなきゃイヤよと、心のフランス女がなかなか許してくれない。