歪み真珠

美的感覚とは嫌悪の集積である。

瞬間的清楚ぶりっ子

 

ブログをはじめてから肌の調子がすこぶる良い。これはプラセボなんかじゃない。私に必要だったのは皮膚科で電流をビリビリやることでもドクターズコスメでも漢方でもなく、書き殴ることだったのかもしれない。いや、ホントの話。肌がピカピカである(当社比)書くことはセラピー。

 

有給をとって婦人科へ行った。女医さんがいるところを母に紹介してもらった。予約を制限していると聞き、希望通り取れるか心配したが杞憂におわった。

午前中に行ったせいか、待合室にいる人はほとんど「お腹に赤ちゃんがいます」の札を下げていた。ほぇ〜と勝手に圧倒された非妊婦のわたくし。問診票にはパートナーのご連絡先は?パートナーのご職業は?まであった。またまた、ほぇ〜〜と圧倒されながら質問に答えていった。郷に入れば郷に従え、ここは婦人科なり。

無事お目当てのピルを処方してもらった。このままいくと、年末の旅行に生理が丸かぶりするところだった。保険適用にならないと言われ、やや不安になった。後進のために書き留めておこう。さて、生理をずらすホルモン剤、おいくらだったでしょうか?

680円也。ウソでしょ、保険適用じゃなくてこのお値段。有り難い話だ。ビバ!企業努力!!ホルモン剤を飲むのははじめてなのでちょっと緊張している。副作用が少ないといい。

低用量ピルを飲もうか一年ほど迷っていたので、それについても教えてもらうことができてよかった。来年の1月以降、あれやこれや検査を進めていくことになった。生理が来るまでの早く来ないかな〜な憂鬱をなくしたい。「セックスは思う存分楽しんだほうがいい。今は偏見も少なくて、きちんと選択肢があるんだから」とピルを飲むことについて否定的態度をとらなかったママンに感謝。ママンのこういう姿勢を私はとても好ましく思っている。避妊目的ではあるが、ピルを飲むと肌荒れも改善されると聞く。彼は肌荒れについて、「ずいぶん綺麗になったね〜」と褒めてくれている。最近では、1.5歩進んで1歩下がるを繰り返す私を見て「せっかくの可愛いお顔がもったいないよ〜」と発破をかけるなどしてくれる。それにしても『せっかくの・かわいい顔が・もったいない(字余り)』ときたもんだ。せっかくの、可愛い顔が、もったいない。う〜んいい響きだ。せっかくの、可愛い顔が、もったいない。

 

金曜に有給をとったため、図らずも三連休になった。いや、図らずは嘘だ。狙ってやった。病院のあとは母と+Jのコレクションを冷やかしに行った。入場制限までしててウケる〜と言いながらもなんだかんだ並び、私はシルクギャザーブラウスを手に入れた。母は生地のユニクロクオリティを見て、+Jというか−Jちゃう?でもお値段の割にはデザインいい感じだから±Jってところかな〜若い子はこんなん着てても可愛いよね〜と名誉資本主義な発言をしていた。

 

私は2年目にしてはそこそこ自由にやらせてもらっていると思う。いんや、1年目からばんばんやってた。母には、あなた自由にやりすぎじゃない?と心配されている。私のマイペースさはこういうところに如実に出る。マイペースと言えば聞こえはいいが、自分の快適さのためなら他人になんと思われようと構わないという“身勝手さ”が人より強い。そのくせ瞬間的ぶりっ子はうまい。清楚ぶりっ子。「継続的ぶりっ子」ができれば、もうちょっと人に好かれる女になっただろうが、そこまでやりきる体力も気力もない。瞬間的ぶりっ子どまりである。親しい人は私のぶりっ子と身勝手さに気づいたうえで仲良くしてくれているんだろう。

学生のとき「清楚ぶるのうまいからな〜」と言われたことがある。当時は友人がなぜそんなことを言うのかわからなかったが、今ならわかる。ようやっと自分をわかりはじめた今日この頃。

 

人生で継続してやったことなんてひとつもない。続いたことがあるとすれば、それは確固たる決意に基づいた“継続”ではなく、“惰性”である…あ、ありました。人生で“継続”していること。継続し、習慣化までできたこと、下着の手洗い。ブラデリスをはじめてから毎日手洗いしている。ひとつあったからよしとしよう。