歪み真珠

美的感覚とは嫌悪の集積である。

悪しきもの2

 

結婚式でよく見る天女の羽衣みたいなショール。ババくさい。あれをやってお洒落な人を見たことがない。式だからしょうがない感がダサく見える所以でしょうか。人がやってるのはまあいい。「いい」というのは「どうでもいい」の方。私はやりたくない。

 

『珈琲にこだわってます』なのに紙カップで供するお店。テイクアウトならいざ知らず、店内ならばカップやマグで出してくれませんかねぇ。珈琲こだわってますと言われても。根性が貧乏くさい。ファミレスですら陶器で出しているというのに。

 

人前で『わざわざ』泣く男(その男がわざとしたかは問題ではない。私が『わざわざ』と判断した場合はすべて。天上天下唯我独尊)

男なら泣くな!とか男が泣いていいのは親が亡くなったときだけ、とか古いジェンダー感に縛られた発言と思わないでほしい。わざわざをつけたのが肝です。具体的に一人の男を思い浮かべてますが、経歴を知らず彼の泣くさまをみて私はしらけた。胡散臭ぇ!と思った。後ほど彼の色んな背景を知ることとなる。まこと胡散臭かった。なんだ〜私ったら見る目あんじゃん!と自画自賛したのは言うまでもない。

 

なんでもかんでもHAWAIIナイズすればいいと思ってる飲食店。みんなそんなにHAWAII好きなの?ほんと??地元にある珈琲店。硬派な雰囲気が好きでたまにお茶をしに行ったりしていた。ある日突然、漢字の看板からHAWAIIナイズされた外観に変わっていた。驚き桃の木。なぁにがALOHAじゃ。私の好きな街を勝手にHAWAIIナイズすな。人生で嫌いなものトップ3ぐらいにはいる、HAWAIIナイズされた飲食店。

 

食べログの点数でお店を選ぶ人

社会人になり、先輩から教えてもらったおすすめのお店について「でもこのお店食べログの点数低いよ」と発言する人に出会いびっくりした。私は誰がなんと言おうと地元のパティスリーの洋酒が効いたぎゅむぎゅむのザッハトルテが好きだ。お釣りがきちっと新札で、話しやすくでも馴れ馴れしくない、ワインバーが好きだ。いずれも食べログの点数はそんなに高くはないだろう(確かめたこともないが)むしろ食べログの点数を見てお店を選ぶなんてみっともないとすら思って生きてきた。この世には宗派の異なる人々がいるらしい。わかりあえない。

 

動物のいる飲食店

学生のころ、友人たちと連れ立ってスイーツ巡りをした。一軒のそこそこ美味しいと有名なかき氷屋さんにはお店の名物らしい犬がいた。私たちが食べる横を我が物顔ですりすり通り抜けていく。おそらく店主としては犬がいることを快く思わないのなら来るなということだろう。友人たちはかわいい〜と撫で回していた。その後ろで食品を提供するお店に犬……ハズレだと思いながらも、なけなしの社交性を振り絞り、文句を言わず無言で通した。そもそも不特定多数の人がいる場で犬のリードを外す飼い主の気がしれないと常々思っている側の人間だ。あなたにとっては大事な家族かもしれないが、こちらにしてみれば単なる動物である。それ以上でも以下でもない。

犬のことが嫌いなわけではない。もふもふの柴犬なんか見ると可愛いと思う。触らないけれど。