歪み真珠

美的感覚とは嫌悪の集積である。

ブランド物 「規格外」の悲劇

診察の待ち時間が恐ろしく長いのでブログが捗る。予定予約時間から1時間以上が過ぎた。デートに遅れることが決定。ここはいつも遅くてイライラする。

 

阪急百貨店でTASAKIのバランスのネックレスをつけた女性を見かけた。景気良く、パール5つの方だった。すれ違ったあと母と顔を見合わせた。(今のTASAKIのだよ)(うん、すぐわかった。かわいいね〜)(……沈黙……)(なんかちっちゃかったよね)(うふふ、だよね、私も思った)(パール5つなのにね、あんなちっちゃい印象なかったんだけど)(それってあのおばさんが“大きい”ってこと?)(そういうことになるねぇ)(痩せたからって偉そうねあなた)(お母さんだって小さいとおもったんでしょ)(うーん可哀想だけど、あのおばさん似合ってなかったね)という会話をした。

①似合ってない②すぐにそれとわかるブランドもの③印象として“大きい”人、の3つの条件が揃った年配の女性を見ると、『おばさん』というイメージが強くなる。私たちは自分のことは棚にあげまくって、あーだこーだ言う。

 

地元のイカリさんで見かけた母と同年代の女性。フォクシーっぽい淡い水色のノースリーブワンピース(おそらく鍛えてる二の腕)、TASAKIのバランスネックレス(同じくパール5つ)、エルメスのピコタン(チョイスがうまい)、スクエアトゥのヒールという出で立ちの人とすれ違った。ここまで詳細に記憶しているのだ。お察しのとおり、ネックレスがよ〜くお似合いだった。

 

まったく同じTASAKIのネックレス。着る女性の身体の大きさでこんなにもイメージが変わるのかとしみじみした。後者の女性が素敵だったからこそよけい、前者の女性に『規格外』という大きな赤文字がチラつく。いやはや、ブランドものの恐ろしさよ。ユニクロZARAなんかで被っても、あの着こなしはどうだとか強くは思わない(多少は思う)。しかしブランド物で、かつアイコニックな品物の『規格外』は可哀想な気持ちにすらなる。

もちろん、赤の他人にどう思われるかなんて気にしてないだろう。気に入った装飾品を身につけることはとっても愉しい。特にジュエリー。肌の上に少しひやりとした金属をのせる気持ちよさといったら!しかし装飾品である以上、他者の目にさらされ、評価されることは免れない。「自分が気に入っているのだからいい」、と「他人から見たときどう評価されるのか考える」のバランスは難しい。どこの物で、どれぐらいの価格かすぐにわかってしまうブランド物は特に。このバランスに答えはあるのだろうか。