歪み真珠

美的感覚とは嫌悪の集積である。

一夜明けて

所信表明から一夜明けた。心なしか肌の調子が良い。うきうきである。プラセボでも問題ない。要は心の持ちようである。

 

朝。鏡を見る。あら、いい感じじゃないと悦にはいる。しかしながらお腹がうんともすんとも言わない。乳酸菌のODが効いてない模様。うぬぬ…と唸りながら職場へ。電車内でお腹が産声をあげ始めるも歩いているうちに便意が消える。惜しい。

 

始業後。9時〜10時。しっかり出てくれた。我熱烈歓迎。昼食後も。多謝。

 

その後、職場のお手洗いに座ると気配はあるものの、職場であることを遠慮してか、なかなか顔を出してくれない。照れ屋さんなのかしらん。一度やったのだから勿体ぶらずに出てくれたらいいのに。

 

帰宅途中に書いている。お家でまた出てくれたら嬉しい。今夜もODをやる。昨日見つけられなかったミルミルを飲みたい。帰りにコンビニをのぞいてみる。

 

こうやって書き散らすのは想像していた以上に愉しい。脳の中で渦巻くあれこれを吐き出せる場所だ。Twitterとは違う。なぜか私はあそこでちょっとばかり背伸びをしてしまう。短文が苦手なのだろうな。つらつらつらつら書きたい。

まだまだ書き出したいことばかりだ。増えゆく下書き。私の肌荒れは思考をべらべら垂れ流したら案外良くなるのやもしれぬ。

 

この生ぬるいものを日記帳ではなく、ブログとしていちおうは“世に出す”という形をとっている。誰かが読んでくれたら嬉しいなと思うのだ。ちょっとした私の希望。